鹿児島県本土で夢を追う奄美出身者がいる。年齢や分野は違えども、古里を思う気持ちは同じ。さまざまな舞台で輝こうと、奮闘する人たちの姿を紹介する。
◆鹿児島国体、優勝目指す そうしん野球部・松下勇一さん(奄美市名瀬出身)
鹿児島市の郊外、郡山温泉近くのそうしんグラウンド。休日の早朝、ユニホーム姿の男たちが次々とやってくる。鹿児島相互信用金庫(そうしん)野球部の選手たちだ。松下勇一さん(22)=奄美市名瀬出身=もその一人。この春、入行した。ポジションは投手。力強いストレートが持ち味だ。10月に行われた福井国体軟式野球競技に出場。全国6位に貢献した。2020年の鹿児島国体での活躍が期待される。
松下さんは奄美市名瀬の金久中学校、大島高校を経て日本文理大学(大分)に進学した。高校3年生のとき、春の九州高校野球県予選ベスト4進出。後輩たちも秋の県大会で再びベスト4。翌年、21世紀枠でセンバツに出場した。世代を超えた好成績が甲子園を手繰り寄せた。
大学時代は全日本大学選手権も経験した。卒業前、高校時代の恩師、渡邉恵尋さん(50)に「そうしんに入って鹿児島国体を目指してみないか」と勧められ、就職した。
そうしんは太陽国体(1972年、鹿児島)、大阪国体(97年)で優勝。2004年の埼玉国体を制した。県内屈指の強豪だが、野球漬けの日々を送っているわけではない。全体練習は土日と祝日のみ。松下さんは本店営業部に所属。仕事と野球を両立させる日々を送る。
松下さんは179センチ、80キロの恵まれた体を生かした力強い投球が魅力だ。先の国体では初戦、二回から登板し、8イニングを投げ、チームを勝利に導いた。松元健作監督は「マウンド度胸が素晴らしい。エースになってもらわなければ困る存在だ」と期待する。
鹿児島国体に向けて松下さんは「一番磨くのはストレート。島の人たちも応援してくれると思うので、優勝を目指して頑張っていきたい」と抱負を語った。
◆ジャガイモの販路開拓、新商品も 迫田成満さん(徳之島町出身)
徳之島町(徳之島)山(さん)出身の迫田成満さん(52)は伊佐市大口で林業や造園、農産物直売所などを幅広く経営している。特に力を入れているのが徳之島の特産品ジャガイモの販路開拓だ。「自分を育ててくれた古里に貢献したい」と情熱は尽きない。
迫田さんは5人きょうだいの4人目。中学を卒業して伊佐農林高校で林業を学んだ。鹿児島市の企業に20年間勤め、38歳で起業した。
独立当初から徳之島のジャガイモを取り寄せ、県内外に販売している。選果場を作って年間400トンを扱っているが、「B級品」の売り先を確保するのが悩みの種だった。
そこでひらめいたのが加工品の開発だ。ジャガイモを真空フライにした「徳之島じゃがどん」を5月に商品化。他産地のジャガイモも取り寄せ、納得がいくまで試作を尽くした。塩やアオサ、黒糖を味付けに使うなど島の素材にもこだわり、口コミで評判が広がった。
古里を離れて37年。「徳之島の若者に鹿児島で林業を学んでもらい、島に帰って技術を還元してほしい」という新たな目標もできた。
中学を卒業するまでは島を出たい気持ちでいっぱいだったが、今は闘牛のオーナーを務めて大会のたびに帰省する。
子どものころに親しんだ三味線の音色、青い海、人情に厚い島の人たち。将来の自分を思い浮かべ、「現役を退いたら、もう一度暮らしてみたい」と笑顔を見せた。
◆学生の修学支援、交流促進 鹿児島国際大学「奄美結いの会」
鹿児島国際大学(鹿児島市坂之上)に「奄美結いの会」がある。奄美出身の学生たちで組織する親睦団体。現在の会員は119人。奄美にゆかりのある教職員のサポートを受けながら、修学支援に取り組み、交流を広げている。
奄美結いの会は2012年に発足。大学には多くの出身学生が学んでいる。発起人の一人、田畑洋一名誉教授(奄美市住用町出身)は「学生時代はいろんな困難に遭遇する。大学に入った以上、卒業させてあげたい。支える人、相談する人がいることは大きい」と考え、立ち上げた。
活動は新入生の歓迎会・相談会に始まり、夏の懇親会、ボランティア活動など多彩だ。新入生には先輩と教員が時間割の組み立て方も教えてくれる。学生たちの大きな力になった。父母からの信頼も厚い。
今年の会長は元見竜也さん(社会福祉学科2年・大島高校卒)。「同じ高校の出身者だけでなく、奄美各高校の卒業生が集う。各島の友人ができ、島ごとに異なる文化を知ることもできた」と話す。
「結いの会」が出身学生たちの絆を深める。